※1月18日 Facebookへの投稿記事転載です


朝から涙が止まらない......

それは病気のせいだが、不治の病を悲観してなんてつまらない事ではない。

病気自体はもう運でしかなく、覚悟は決まっているので今さらどうこうなんて考えもしない。

不治の病になったために、自分がまったく知らなかった自分の事を知ったからだ。
  
「他人の人生に影響を与えたくない。
 他人の考えに影響されたくない。」
  
若い頃からずっとそう思ってきた。
他人とは常に一定以上の距離を置いて、踏み込み過ぎず近づきすぎず、かといって離れると寂しいので離れ過ぎず。

いつの間にか、そんな風な生き方が自然と身についた。
 
 
だから俺には友達があまりいない。

親友って言える人はいるんだろうか? と、改めて考えてみる。

いるような気もするが、俺が思ってるだけで相手は違うかもしれない。
だから真の意味での親友はいないのかもしれない。
正直なところよく判らない。
 
 
家族に至っては、空気以上に軽い存在。
いるのが当たり前だからそばに居ても居なくても同じ。わざわざ一緒に行動する必要もない。

不仲とは違う。表面上は良い家族に見える事すらあるかもしれない。
感情の勢いでつまらない干渉をする事はあっても、本気の会話はしない。

自分が親とまともに話をした事が無いので、子供たちとも当たり前のように同じ距離感になる。

子供たちに教えた事は2つだけ。
「世渡りは要領」「全ての結果は自身の行動の帰結」これだけをしつこく伝えた。

助言、手助け、そんな事は一度もしたことがない。
相談すらされない。
「話してもろくに返事すら帰ってこないので無駄」と彼らも分かってるから。
 
  
そんな風に生きて来た。
そして今、重い病を患い人生の終着が垣間見える状態となった。
 
  
病気になっても他人との距離感を保つのに腐心した。

病状を細かくまとめ、誰が読んでも同じ情報を入手できるようにし、余計な干渉を防止する。

面会や励ましのメッセージなど一切拒否して、返信や対応で時間と精神的余裕を無駄に消費しないよう防御する。
 
そうして病状を公開してから半月が過ぎた。
 
 
そのたった半月の間に、予想もしなかった反響がいくつも届いた。
メールだったり、メッセージだったり、形は様々だったが内容は殆ど同じ。
  
そこには異口同音にこう記されていた。
 「あなたのおかげで、今の私がある」

一所懸命、影響を与えないように腐心していたのだよ。
そんな馬鹿な話があるか。

しかし、どれにもほぼ変わらずこのようにも書いてある。
 「あなたが進むべき道を示してくれた」

何だか宗教臭い....

全く逆のことを考えていたんだから、そんな事あるはずないのに。
みんな俺をからかってるのか?

俺は生きていてよかったのか?

朝から涙が全然止まらないよ。勘弁してくれ。
恥ずかしいじゃんか。
 
まだまだ先の話だから、これも勘違いで終わるかもしれないけど、俺が死んだら俺を褒めるなんて無駄なことはもういいよ。
残った家族の愚痴を聞いてやってくれ。
 
  
雨は嫌いだ。

晴れてくれないもんかな......
そしたら涙も止まるだろう。

 
頼むからわざと泣かすコメント書くなよ。

 

1月18日(土) 旗の台昭和大学病院にて